今日はちいと重いお話なんで、先に明るい話題を。
と思っている「神秘のアイデンティティ」、高塚です。
ちなみに本名でやると「災害救助隊」って何やねん。
それから、nozanさん渾身の一撃。
あのキャンペーン実施ヘビ女がいよいよ販売開始!
これはレビューというよりも、このサイトで何度も参加していただいて来たプレランチ。
あれを自分でやっちゃえる!ってツールです。
が。
多分うちのサイトでは属性が全く違うと思うのでご紹介のみに留めておきますが、なっかなかすげぇツールですよ。
メルマガでもちょっと書きましたけど、とにかく見事なデキ。
売るの勿体無い気もしますが、こちらは8月31日までで販売完全終了で封印されますので、気になる方は入手されておいた方がトクかと思います。
さて、本題。
こちらはメルマガでもちょいと触れた、もう一つの「ビギンズナイト」。
更に言えば、今日は私みたいな旅行業関係の人間は絶対忘れてはならない日なのです。
今を遡る事25年前。1985年8月12日、18:56分。
日本航空123便、羽田空港18時00分発大阪伊丹行き。
離陸から12分後の18時24分、機体に異常を生じた同機迷走を続け、18時56分、群馬県多野郡上野村の高天原山の無名の尾根(後に「御巣鷹の屋根」と命名)に激突、墜落した航空史上最悪の事故。
いわゆる「日航ジャンボ機墜落事故」です。
詳細はWikipedia(ウィキペディア)が圧倒的に詳しいですので、こちらでご覧いただいた方が早いですね。
この事故で、パイロットの高濱雅己機長を含む乗客乗員524名のうち、生き残ったのは僅か4名。
落合由美さん(25歳)
吉崎博子さん(34歳)
吉崎美紀子さん(8歳)
そして、川上慶子さん(12歳)
※いずれも当時年齢による
落合さんはたまたま非番で同便に乗客として搭乗していた、日本航空(JAL)の当時現役のアシスタントパーサー。
座った場所も良かったのでしょうが、流石に現役。
瞬時に危険を判断し、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢を取っての回避。
ただ、事故後は自社である日本航空から緘口令を敷かれ、このことについては長く口を閉ざしたままでした。
ぼちぼちと語り出したのは同社を退職後です。
吉崎博子さん、美紀子さんの親子も、同じ後部座席で助かった組。
博子さんは2005年にTBSで放送されたスペシャル番組
「ボイスレコーダー VOICE RECORDER ~残された声の記録~ ジャンボ機墜落20年目の真実 生存者がいま語る事故の全容」
(番組自体はドラマ仕立てでいかにも!な内容に仕上げられてましたが・・)の中でもお姿を拝見しましたが、お元気そうな様子。
このうち最も注目を浴びたのは川上慶子さんでした。
こちらも後部座席。
注目を浴びたがために川上さんは、酷いマスゴミどもの心無い報道に晒され、精神的にかなり参った様子。
「あの時皆と一緒に死ねば良かった」とまで言わせています。
ここにもクソマスゴミどもの暴力が。
その後、亡くなったお母さんと同じ道を歩み看護士となり、現在はもう結婚されて8年くらいになるんですかね確か。
お子さんも大きくなられたことと思います(^^)。
同機の機長であった高濱雅己氏は、前どこかでも書いた記憶がありますが、
運航部門指導教官であり、総飛行時間12423時間。元海上自衛隊出身の超ベテランパイロット。
事故の状況を聞くに、本当に良く飛ばしたな・・というのが本音。
詳細は書きませんが、理屈で考えても100%まっすぐ飛ばない機体を、よくぞあそこまで操ったものです。
現在でこそ美談として語られていますが、長らく公開されなかったボイスレコーダーが真実を語るまで高濱氏のご自宅も心無い中傷と批判の嵐を受けたそうです。これもまた、クソマスゴミのバカどもが偏向報道した一つの被害事例です。
ほんとこいつらロクなもんじゃねえな。
当時、事故調査委員会が出した結論は、「圧力隔壁の破損」。
でもこれは多分嘘。
パイロットは減圧の際にはすぐに酸素マスクをつける習慣になっているんですが、これをがつけた形跡はなし。
で、減圧だと人は意識を失うし、気温が-40℃ぐらいまで下がると言います。
でも、生存者の4人の証言には、「寒かった」という表現は見られないんですね。
しかも、調査委員会ではこの減圧に対する疑問に対してばっさりと「検討する余地なし」と圧倒的多数で押し切っていました。
当時の運輸大臣は故、橋本龍太郎氏。
ここに出された報告書には、「減圧に関すること等、何点かの疑問に対しては不明」として提出されています。
明らかに口封じ。
そしてマスゴミに漏れることもありませんでした。
ちなみに、高濱機長の長女、 洋子さんも2005年の特番には出演していらっしゃいました。
その後JAL国際線のCAになられたとか。
お父さんの意思を継ぎ、大空を飛ぶことを続けておられました(2010年現在は解りません)
こうやって多くの人的犠牲を払ったこの事故。
今でも多くの謎に包まれたままです。
事故調査委員会の報告書では、「四名の生存者以外は全員即死したと見られる」としています。
でも、後日の落合由美さんや川上慶子さんの証言は真っ向から食い違っています。
墜落直後「ようし、ぼくはがんばるぞ」「おかあーさん」という子どもの声などがあがっていたという(落合由美さん証言)
「墜落してから、「お父ちゃん、助けて」と叫んだところ、英治さん(父親)は「お父さんも身動きできないからどうにもできない」というので、こんどは「咲子、咲子」と妹の名を呼びました。
どれだけたったかはわかりませんが、慶子さんが咲子ちゃんに「お父ちゃんはどうしている?」と聞きました。
咲子ちゃんは「お父ちゃんもお母ちゃんも冷たくなっている」と答えました。
そこで慶子さんは「帰ったら、おばあちゃんと兄ちゃんと咲子と姉ちゃんと四人で仲よく暮らそうね」と妹にいいました。しばらくして咲子ちゃんはゲロゲロ吐き出したといいます。(川上慶子さん証言)
何が、どこが即死?
今でこそGIS:Geographic Information System地理情報システムが存在しますから、事故現場の特定は容易なのでしょうが、当時はそんなものが無かったため、事故現場特定は困難を極めたと言います。
これには諸説あって、どれが本当かさっぱり解りません。
ただ、「事故直後ヘリコプターが到着し、ホバリングしながらサーチライトを当てた。」
というのは、川上、落合両生存者の証言でほぼ事実であろうと思われます。
でもこの時、「米軍がいち早く事故現場を特定し、救助活動を行おうとしたものの日本政府がこれを断った。」とニュース速報で報道したのはNHK。
しかし翌日一転。10年後にまた認めるというわけわからん行動をしています。
でも自衛隊も手をこまねいていたわけではなく、実際にはスクランブルでF-4ファントムを飛ばし、続いてV-107救難ヘリコプターも飛ばしているようで。
これはこっち読んだが早いですよね(笑)
「いわれなき批判に反論する(その1)」
「いわれなき批判に反論する(その2)」
(いずれも軍事評論家、佐藤守氏による)
ただこれも偏った見方なんです。
結局、何が事故の原因であったのか、何がどうなったのか。
多くの謎を内包したまま、事故は風化して行こうとしています。
でも風化させちゃいかんのです。この事故は。
被害者の方々の「ビギンズナイト」は今も続いているのだから。
今日はそんな事故の書物を幾つかご紹介します。
今回ので興味持ったという方は、ぜひ一度読んでみてください。
墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)
吉岡忍氏/新潮社
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沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)
山崎豊子氏/新潮社
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【詳細はこちら】
米田憲司氏/宝島社
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これも取材ルポ。この著書の中では、事故を発見し、強制帰還を命じられた米兵、C -130 の航法士、マイケル・アントヌッチ氏の証言が掲載されています。
これ聞くとリアルで、やっぱり米軍は先に到着し、救助作業を行おうとしていたのに日本政府が止めた。って見方になってしまうのです。
著者は「しんぶん赤旗」の記者だから穿った見方をされそうですけど、一般の新聞記者とは違って優秀な方だなってこれ読んで思います。
【詳細はこちら】
御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年
美谷島 邦子氏/新潮社
販売価格 :
【詳細はこちら】
また、日本航空(JAL)に関しては、私の本業でお付き合いがある、後藤民夫氏という方が居ます。
先日選挙にも出てたし、中部地区の方はご存じでしょ?^^;
最近は全くお会いしてませんが、ま、検索してみるとかなーり有名人ですし、もしかしたら一昨年被害に合われた方も居られるかも^^;
ちなみに後藤氏も著書を出しています。
日本航空 腐った太陽―たった一人の革命児
後藤民夫氏/音羽出版
販売価格 :
【詳細はこちら】
結構深く書いてあるなあ・・と思ってたんでご本人に聞いてみたところ、
「これ触りだけだよ。もっと言えないような事があるんだよな。」と笑っていました。
私が某ASP系の詐欺的要素なんてカワイイ。って思ってるのはこういう人との付き合いがあるからかもしれませぬ・・(笑)
一応ご紹介しておきますね^^;
あれから25年経って、日航機では無く、日本航空という会社そのものが墜落してしまいましたが、この事実上の倒産が、その頃からの隠蔽体質と企業努力、危機管理能力の欠如から来たものだとすれば、納得行くかもしれません。
あの日御巣鷹に散った多くの方々のご冥福をお祈りしつつ、本日はここまで。
ってか長いなー^^;・・・
この記事、なんか役に立ったぞ!という方はこちらへ
また、メルマガもほぼ日刊で発行しています。
以上、高塚でした。
私の場合、身近なところだとJR福知山線の事故。
やはり原因ははっきりせず、被害者(乗務員含む)の証言と噛み合わないことがあったり、マスコミの礼儀をわきまえない報道、偏向報道、憶測等々。
20年近くたっても何も変わっていないんです。
これではいかんと思うのです。
詐欺暴露屋さん>
報道の質はこの事故の頃より落ちてるなって私は思いますね。
ジャーナリスト気どりの似非が多過ぎ。
マスコミはますますゴミ化していますし、インターネットが普及しても自作自演を続ける局もありますし。
ほんっとムカつきます。
福知山も107人の方が亡くなられたんですよね・・遺族の方にとってはこの日航機の8月12日同様、4月25日は悪夢の日となるんですね・・
ボーイングの修理ミスとか、貨物に入れていた放射性物質の
爆発とか、原因は色々といわれていますね。
事故直後に作成されたNHK特集(NHKスペシャルになってから
質の劣化が激しい)は、まともな取材をしていたのですが、
今でもyoutubeあたりで見られたかな?
将来的に日航がなんらかの形で消えるとしたら、ミドリ
十字とか、チッソみたいに、合併先の企業が責任を負う
ことになるのでしょうか?
911テロもいまだに陰謀説が尽きません。
hogeさん>
諸説入り乱れでどれがホントやら本当にわかりませんよね。
尾翼が飛んだ原因というのが何なのか。少なくともミサイルとかだったら空中木端微塵になってる筈なんでこれは考えにくいですし。
でも何らかの原因が無いとあのでっかい尾翼が折れるなんて考えにくいですから。。
さて、どうなんですかね。
5000億の負債もチャラにしてしまうような企業ですからJALは(苦笑)
高塚さん、こんばんは。N.K.です。
メルマガの件、成る程ですね。
言われてみれば、あんな事も、こんな事も、
そんな事までも・・・ですからね。
私も弱小ながらブログをやっていまして、
高塚さんのメルマガを紹介してみようかと思っての質問でした。
今日のお昼頃に紹介用の記事を投稿してみました。
弱小ですので、訪問者が来るなんて期待はナシで。
>「神秘のアイデンティティ」、高塚です。
>ちなみに本名でやると「災害救助隊」って何やねん。
↑
私の場合はブログ名でやると「神に愛された男」でした(笑)
某ブログ(といってもこの一番うえの方に・・・)
「永遠の優勝候補」さんとこの記事を見て、
これは面白いと思い、私も早速記事にしました。
PS:
今日のビギンズナイト。
私もお昼にウィキの方で少しだけ見ていました。
謎も多いし、なんか一言では表せない奥深さがありますね。
↓ (事故機のボイスレコーダー音声)
http://hw001.gate01.com/virtua1994/record.htm
改めて犠牲者のご冥福をお祈りします。
それでは。
N.K.さん>
ボイスレコーダーURL、ありがとうございます。
8月ってこんなんばっかですもんね。この丁度20年後の2005年8月12日にはJAL国際便が福岡市に部品ばらまいて飛び去ってますし。
綻びは既に始まっていたのでしょうね。
この墜落事故の3年前にも羽田で逆噴射墜落を起こしていましたし、JALへの風当たりが強かったのにボイスレコーダーを公開しなかったがために高濱機長のご家族は要らぬ心労をすることになってしまい・・
マスゴミもゴミですが、運輸省もゴミクズでした。
これはだめかもわからんね
そう言いながらでも戦い続けた機長には敬意を表しますよ。
隠蔽だとか誤報だとか、なんとゆうかこういう事があると人間自体の見方も変わってしまいますね。(悪いほうに考えすぎでしょうが、、)
そして人の運命なんて全く分らないものですね。
たまさん>
陰謀説は根強いですけど、荒唐無稽なのが多いのもまた事実で。
でも、隠ぺいされた情報は・・確かに山ほどあると思います。
この事件、だからこそ風化させちゃいかんのかなあ。って思いますよ(^^)。